2007年12月30日 (日)

Wall.E 2nd Trailar

キャラクター&マンガ「みんなのブログ」
みやたけ先生情報(12/29 00:50)からいただき。
PIXARのCGアニメーション映画「WALL.E」予告編映像↓
http://www.dailymotion.com/video/x3snkx_walle-2nd-trailer_shortfilms

6月27日公開は、日米同時公開だろうか?

ボサノバの名曲「ブラジル」ふうの音楽にのせて、ご機嫌な映像。

情報によると
ファインディング・ニモ」のアンドリュー・スタントンが監督。米アニメーション業界の裏話情報が満載の“Jim Hill Media”は、ピクサーのスタッフから聞き出したという詳細なストーリーを掲載。

ネタバレにならない範囲で要約すると
舞台は環境汚染のために人が住めなくなった西暦2700年の地球で、主人公は環境改善のために送り込まれた清掃用ロボットのWALL.E
何万台という仲間のロボットはすでに故障してしまい、WALL.Eの唯一の友達はゴキブリだけ。(上記予告編にも登場)
人間が残した大量のゴミを集めながら、孤独を持て余しているところに、最新型のロボットが送りこまれてくるという筋書きだという。

掃除することだけ
をプログラムされたロボットが、やがて自分の使命を見いだすまでの冒険物語で、PIXAR映画としては初のメッセージ性に溢れた社会派のSF映画だという。
しかも、最初の30分間は台詞がほとんどないという野心的な作品だとか。

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2007年12月17日 (月)

「トランスフォーマー」レンタル開始は明日から

映画『トランスフォーマー』
のビデオ・DVDレンタルが明日18日から始まる。

8月に
001 映画館に見にいった映画だ。

車や戦闘機
ヘリや戦車が、トランスフォーム(変形)するダイナミックなスピード感ある映像は見ごたえある。
これだけは、手描きのアニメーションでは表現の限界がある。
テレビアニメーションでは、せえ一杯がんばって動画してたが、質感を残しつつの臨場感あるメタモルフォーゼはCGお得意の表現だ。

といっても
CGであっても、つじつま合わせは無理なようで、速い動きで、ごまかして見せてしまっているかんじ。
仕方ないね。

昔やってた
テレビアニメを知らないで見たほうが、純粋に楽しめるかも。
特に、
アニメに登場するキャラクターたちに愛着のある人は、ガッカリするかもしれない。

ストーリーは
どうでもいいくらい、どうでもよい。
中学生までの男の子向けの映画だ! と、割り切って見るべき。

映画やアニメが
凄いというよりも、実際にトランスフォームさせる玩具を作った人が素晴らしい

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2007年8月15日 (水)

「切腹」と「生きる」ことと、どちらが勇気がいるか?

『武士の一分』を観た

キムタクについては
いろんな意見があると思うが、

キムタクはどちらかと言えば嫌いだ派
の目で見れば、キムタクっぽくなく良かったのではという感想。
失明して、人の手を借りて生活しなければならない、キムタクとしては何ともカッコ悪い役柄で、TVドラマでスマートながら御馴染みのいつもの小生意気なイメージから離れたものがあって、『武士の一分』では、映画の世界に入って見ることができた。

盲目の芝居をすることで
いつものキムタク流の芝居を変えることができたのか。
なかなか良かった。
喋り方も、方言の台詞だったということで、いつものキムタク喋りじゃなくなかなか良かった。

キムタクってやっぱりカッコイイしおとこまえだ派
の目で見れば、キムタクって最近おっさん顔に変わってきて男らしくなったなあと思っていたのに、正面のアングルで撮った顔は、顔の作りが幼い感じで侍の鬘(かつら)が似合わなくてガッカリ。
キムタクって、けっこうがっしりした体系かと思ってたら、肩幅胸まわりが貧弱なのか、着物姿もいまひとつでがっかり。

ネタバレ注意

三村新之丞との果し合いで腕を深く切られ、片腕を切り落とさなければならなくなり、武士として生きるは恥とし切腹した島田藤弥
失明し、もっと不自由である三村新之丞が、生きる道を選んだことを考えると、
恥じて死を選んだ、臆病で情けない奴。

同僚の報告で、島田藤弥のその後を聞くくだりで、
生きることを覚悟した三村新之丞
切腹を選択した島田藤弥
コントラストの差が印象に残った映画だった。

しかし
切腹にも勇気がいる。
切腹が侍として当然という覚悟が普段からあるにせよ、
自ら命を絶つというのには相当の覚悟がいる。

三村新之丞も
武士として、他人の世話を借りてまでして生きては行けないと、一度は切腹を考えた
しかし、
彼の場合は、愛してくれる妻・加世の存在、彼女の思いと言葉があり、生きることの覚悟ができた。

島田藤弥にはそんな身内がいなかった?
というよりも、三村新之丞&加世的考えって、現代的発想? キムタク&壇れい的

木部孫八郎の言葉も印象的

「共に死するを持って心となす。勝ちはその中にあり、必死すなわち生くるなり」

「もしお前に勝ち目があるとすれば、おまえに死ぬ覚悟が出来ていて、向こうが生きることに執着していれば」

これは、果し合いを行う前に
新之丞が師匠・木部孫八郎にもらう言葉であるが、
決闘の勝ち負けのためだけの言葉ではなく、
人生すべての局面においての言葉とも思える。

人間死ぬ気になれば何だってできる。
一度、死んだと思えば、怖いものなし。とは、よく耳にする言葉。

生への執着とは
人よりも劣ったものを抱えて生きていく負い目か。

夫婦の心の絆と
父親の代から家の雑務をしてくれる主人思いの徳平の人間性に、感動するストーリーであるが、
ちょっとずるい! 
と思うのは、結局、三村新之丞がとても安全な場所にいるから。

生涯失明という
充分不幸のどん底にいてるのではあるが、
素敵な奥さんと素晴らしい奉公人がいて、
失明しても、御上から、職を奪われることも米三十石の身分も奪われること無く、お城勤めせずとも、お給料がもらえる身分で過ごせるポジションにいることが決定している。

少ぉし
ゆるい感じがするのは、そんな設定と、キムタクの甘いマスクのせえか?

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2007年7月26日 (木)

「ハリーポッター 不死鳥の騎士団」吹き替え版

微妙にネタばれ箇所あり。注意!

原作読んでないから
映画の世界だけでハリーポッターを見ています。007さんにあったような、楽しみにして見た観かたはできないが、惰性で見てしまっています。ハリーポッターファンではありません

子供の魔法ファンタジー
で始まったシリーズも2作目までで、前回4作目からは完全にお子さんおいてけぼり作品になってしまった。
そんな! 
ファンそっちのけな! 
と思っていましたが、シリーズが始まったのが2001年。
そのとき10歳だった小学生も、今ではもうすぐ高校生。物語と一緒にリアルタイムに成長しているんだなあ。

とはいっても
ここのところの4作目・5作目のダークさは、子供ハリーのつもりで見に行った人の期待を裏切ってしまう。

原作の
登場人物たちの成長と、映画での年齢設定とのそれはシンクロしているのだろうか?

ハリーの身の回り
の出来事は驚くほどのスピードで、彼をどんどん大人の世界に引きずり込んでいく。
友達の死。大切な人の死。
魔法界の勢力争い。
自分の両親を知っている世代の大人たちの思惑。
可愛いダニエル・ラドクリフ君を楽しみに見に来た人はちょっと戸惑ってしまいます。
恋愛。キスシーン。

ハリーをとりまく
キャラクターたちの関係も、ハリーに負けないよう、もっと大人な関係になってついて行ければ、もっと面白くなるかなという気がする。

ハリーのお父さんが
いじめっ子だった過去のエピソードにビックリ。
だからあのキャラクターは、ハリーにあんな接し方をしていたんだ。
妙に笑ってしまう。

壁中にかかった
新校長のお触れ書きがいっせいに落ちてくるところなど、大きなスクリーンでの見ごたえのあるところもちゃんと用意。
でも今回は、内なる、葛藤や不安や恐怖や懐疑心といった描写が多く、全体的に狭く重たい。
クライマックスのCG魔法合戦は、迫力満点だが、かっこよすぎて本来の魔法ファンタジーさから離れてしまったか。
フレッドとジョージ・ウィーズリー双子が、重たい空気を、派手に暴れて解消してくれる。

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2007年7月25日 (水)

「レミーのおいしいレストラン」先行上映

Img_0493RATATOUILLEが原題?
http://disney.go.com/disneypictures/ratatouille/
劇中登場する重要な料理の名前だが、とうてい美味しそうな料理の名前とは思えない。
ラットはネズミで、タトゥー(tatoo)は刺青。
でも
全編見終わって、シェフたちが最も恐れる料理評論家アントン・イーゴの最後の記事を読む(聞く)と、お子様向け邦題よりもこの原題が最高にピッタリだと感じる。

Mr.インクレディブル
ブラッド・バードのPIXARでの監督第2作目作品。
ちょっと大人のテーマの匂いを感じさせてくれたブラッド・バード監督。
だから、とっても期待大。

先行ロードショーで
吹き替え版で、夏休みの昼間ということもあって、館内は子供がいっぱい。
わいわいがやがや。
ちょっと、しまった

体験入学の
はざまの中休み。この夏最高に観たい映画。子供と一緒はしまった話しだが、チャンスだったので仕方ない。

でも
横でメールで画面明るくされたり、座高の高いおっさんに前に座られたり、その他マナー無視の勘違い大人の近くに座らされるよりも良かったかも。
子供って、面白いところは、ホント声をあげて大笑いするんです。

リングイニが
レミーに、まるでまだ操縦慣れしていない兜こうにめちゃめちゃに操作されるマジンガーZのように操られているくだりは、子供たちにバカ受けでした。
パスタがきれいになべの中に入らず全部外にこぼれてしまったり、子供って、ホントわかりやすいことに大笑いするんです。

ネズミが
厨房で料理するなんて生理的に許せない! 
なんて目くじら立てて怒るひとがいるそうだが、この映画のテーマは、料理から一番遠く離れた位置にいる者でも最高の料理人になれるチャンスがあるファンタジーなのだ。
だから、ネズミじゃなくて、ゴキブリでもハエでも良かったかも。
(げげっ! ゴキブリ・ハエは酷過ぎるか! 想像しただけでおええっ!となりそう…?)

アニメーションだから
キャラクターデザインを工夫して、何とでも表現できそうじゃないですか。
ピノキオのジミニー・クリケット。
ダンボのチモシー。
アリスのキャタピラ。
コオロギネズミ芋虫
醜い生き物も、アニメーションという魔法でみんな愛嬌満点のキャラクターたちに姿を変えました。

不潔さは
でも、ミートホープに中国製食料品…。現実の人間の方がよっぽど信じられないようなとんでもないことやっている
レミーは、スープ作りに入る前に、しっかり手を洗ってたよ(笑い)
それから、ネズミたちが厨房で活躍するときも、集団洗浄(?)
制作側も、そこはちょびっと配慮してました。
ディズニー作品ですが、得意の絶対的ハッピーエンドではなく、正体がネズミだったということで勿論、常識的な展開で決着をつけてます。

テンポ良く
スリリングで、楽しくて、勇気ももらえて、個人的にはインクレディブルの方が好きですが、大人も子供も楽しめる映画でしたよ。
人間とネズミの身長差をリアルに感じさせるアングルの使い分けは抜群。
ネズミだから低い目線という単調なものではなく、奴ら、柱をつたって天井にも上がるし。
空も飛ぶんだぜ!
最初の、厨房で発見されたレミーが、瓶に入れられ、レストランから遠く離れた河まで捨てられに行って、
結局逃がしてもらえて、
そのときの、
レミーがリングイネから全速力で逃げて走って、パッと、止まって振り向いたときの二人の距離感は最高にピッタリ! 画面を切り返して、双方の視点で見合うんだけど、素晴らしい奥行きと距離感。3Dならでわでした。

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2007年6月14日 (木)

リュック・ベッソン監督がアニメーション(2)

Dsc09081アーサーとミニモイの不思議な国
の試写会のチケットを、アスミックエースさんより大量にいただき、アニメーション学科2年生と先行試写に行ってきました。

1月28日(日)の日記
にもとりあげた、楽しみにしていたアニメーション。
http://moriodcacjp.cocolog-nifty.com/odcanime/2007/01/post_6680.html

このときには、邦題は、まだ『アーサーとミニモイたち』だったのだ。

東京での
試写会の舞台挨拶はどなただったのだろう?
本日の大阪試写会では、声優参加のUKさんが映画紹介されました。
ほんの一言だけの台詞で、東京のアテレコスタジオまで行ってこられたようですが…
UKさん、大阪デザイナー専門学校にも一度来てくれたことがあります。

映画は
スピーディーでスリリング。ミニモイのキャラクター達が可愛く、楽しく、魅力的で、あっと言う間の1時間44分。

アーサーもセレニアも
ベタメッシュも、けっして日本人好みの可愛さのキャラクターではないと思うけど、しぐさ・動きが素敵です。
ミニモイ国女王セレニアも、口元ぽかのだらしない顔面だけど、目の表情がイイ! しなやかな身のこなしがイイ! なかなか色っぽい10歳の少女でした。(役柄は、1000歳だけど… ミニモイの1年間は月の満ち欠けのサイクルで決めているんだって)
吹き替えがマドンナ
よくあるモーションキャプチャーでのキャラクターのマンガちっくな造形と動きの妙なリアリティさがいっしょくたんになった不自然さがなかった。これって、関わったアニメーター達の頑張りがあったから?

悪役マルタザールも
細身で、顔ちっちゃく、か弱そうな造形ですが、なかなか存在感のあるキャラクターでした。
吹き替えがデイヴィッド・ボウイ

声優は他に
ひょうきんな国王にロバート・デニーロも参加。

ミア・ファロウ久しぶり
この女優さん、昔から老けたイメージだったので、お祖母さん役での登場でしたが、かれこれ40年ちかく前の『ローズマリーの赤ちゃん』のときと、印象が変わらない。
主人公アーサーのおばさんという感じ。

アーサーのフレディ・ハイモアくん
は、『チャーリーとチョコレート工場』の男の子です。
劇中の彼の髪型は、リュック・ベッソンそっくり。
リュック・ベッソンが、自分の投影でイメージしたキャラクターだから?

ジム・ヘンソン、ゲーリー・カーツの
ダーククリスタル』を思い出した。

お薦めです

http://www.arthur-movie.jp/top.html

   

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2007年5月 5日 (土)

「バベル」

映画が終わった後
しーとしていた。
どう受け止めたらいいんだろう? 館内そんな思いで沈黙? 感想を整理するのに時間がかかりそう? 感想文を書くなら、うんと言葉を選ばなければ。

ぞろぞろと
出口に向かうエスカレーターで、友だち連れの女性が「もひとつやったね」「よくわからない」って、沈黙に我慢できずに漏らした言葉。
ええっ!? そんな簡単な一言で済む映画?
簡単な一言で済む映画見たかったんなら、となりでやってる「ロッキー・ザ・ファイナル」「スパイダーマン3」を見に行け! って思ったが、両方ともまだ見ていない映画(無責任な発言)。

Pa0_0024辛いといえば辛い
ホッとしたといえばホッとした。希望を感じる… しかし釈然としない。
複雑。
でも、「わからない」とは言いたくない、絶対に。

菊池凛子が
話題になった映画だが、彼女の映画というわけではない。
どちらかというと、乳母役の伯母さん、アドリアナ・バラッザが、けっこう印象的。
でも、菊池凛子も大切な役だったよ。
彼女の聾唖者という設定は、監督の、この映画で伝えたかった思惑を、分かりやすく伝えている。
彼女は生まれながらの聾唖という設定なのか? 母親が自殺したショックで聾唖者になったという設定なのか?
たぶん前者。
彼女の、どうしようもならないもどかしさ苛立ちが、ぐさぐさと伝わってくる。
日本人の若者たちの典型なんて思われないか気を使って見てしまうが、取り上げられたどの国の人物たちも、その国の代表者というキャラクターではない。

ネタバレ注意!

の存在が印象的
国によって、に対しての描かれ方や扱われ方が違う。

日本
事件の発端に登場する猟銃は、持ち主の日本人が好意で何気なく、旅先のハンティングのガイドにプレゼントした猟銃。
以前に自分の所持していた銃によって、人が傷つき、死に、よその国・政府を巻き込むような事件になっていることに、元所持者や日本の警察ははあまりにも平和
猟銃元所持者の妻は、彼の所持していた銃(その猟銃とは、多分別の銃)で自殺しているようだ。
彼の自宅のダイニングルームには、行った先の国々でハンティングをして撮った記念の写真が何枚もかざってある。
その写真に写る彼の充実感と楽しさが感じられる表情は、映画の痛く辛い内容とコントラストの差があり複雑。

モロッコ
山羊飼いが、ジャッカルから山羊を守るため銃を手に入れる。
しかし彼はそれを、幼い子供(兄弟に)たちに管理を任せる。
その兄弟たちが山羊当番だから。
生活のために手に入れた銃だが
人を殺せる道具という実感は子供にはない。
試し撃ち感覚で、遠くの観光バスに向けて発砲した。
バスの距離は遠く、まるでおもちゃのようで、中に人が乗っている実感は兄弟にはなかった。
見晴らしのいい崖の上から、思いっきり石を投げてもきっと大丈夫という感覚
子供らしい。

他人を傷つけるだけにとどまらず、自分達の家族をもどん底に突き落とすことになる。

メキシコ
田舎町の結婚式。会場で、合図の変わりに発砲する拳銃。
いくら屋外といえ、結婚を祝う大勢の人や子供達がいるのに、その平気さにビックリ。銃の持ち主は撃った銃を裸でズボンのお尻に差す。
その銃が、国境で車のトランクを開けさせられるときに、出て来やしないかドキドキする。

唯一
アメリカ(ロサンゼルス)の舞台だけに銃が出てこなかったこの映画。
銃の似合う国だけど。
最初に銃に撃たれたのはアメリカ人。
劇中、撃たれて死んだのはモロッコの人だったけど。

劇中の
日本人とアメリカ人のの設定を交代させたら、どんなストーリーになるだろう。
妻が撃たれて、なりふり構わず、あんなに一生懸命になれるだろうか?
日本政府は、いち夫婦に、ヘリコプターを出動してくれるぐらい頑張ってくれるだろうか?

いろいろ考えさせてくれて、見終わった後も、ひきずれる映画。

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2007年4月 6日 (金)

「ハッピーフィート」より「ふるさと」

0_22絶妙なタイミング
先月の21日、最終プログラムで、アカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞した「ハッピーフィート」見て来ました。
予告編だけ見てると、楽しく歌って踊ってという映画だが、ストーリーの展開にビックリさせられる。
これが、受賞の決め手かな?
とりあえず、話の行方にビックリしてしまったが、別な思いで感激もしてしまった。
それは、10年前の学生たちが卒業制作アニメーション「ふるさと あるトドの旅」で発表したテーマや描き方にあまりにも似て重なって見えてしまったから。
思わず新学期の講師会で、アニメーションを担当していただく先生達に「ふるさと…」を見せてしまいました。
当時、指導に関わってくれた、恩師・岡部先生とも、別件で顔を会わすなり、「そやろ、そやろ」って確かめあったぐらい。
ほんでもってこれこそ絶妙のタイミングというのは、当時の学生たち、今頃何してるやろって想っていた矢先、その「ふるさと あるトドの旅」の原作者である立部龍彦くんが、ひょっこり訪ねて来てくれたんです。

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「ハッピーフィート」は
落ちこぼれペンギンが、仲間達に受け入れられなかった彼の特技で、食料危機のペンギン世界を救う話。すごく簡単に言ってしまうとね
「みにくいあひるの子」や「ベイブ」に「チキンリトル」、ほんでもって「世界に一つだけの花」的なテーマって、ハリウッド映画に最近目につくけど、個性を大切にするアメリカらしいストーリー。
ペンギンたちの歌や踊りは楽しい。ストーリーもアメリカ人好み。で、それだけで「カーズ」を抑えて受賞するのかな? 
じゃあ、CGの技術で選ばれたの?
ペンギンの毛のふわふわさ。タップダンスのモーションキャプチャー
素晴しかったけど、感動的か?
これで第79回アカデミー賞の長編アニメ部門の1等賞???????

まだ何か仕掛けがあるのかな
って見て行くと、主人公が旅に出てから、様子がガラッと変わリはじめる… 

以下ネタばれ注意

物語は、人間たちの漁獲・濫獲によるペンギンたちの食料危機へとテーマが変化していく。
ペンギンは人間の世界までやって来て、人間文明に出会い、人類に「あなた達のおかげで、我々はつらい思いをしてるんです」というメッセージを発する。
演出的には、メッセージを直に訴えるんではなく、仲間たちから疎外された彼の特技のタップで注目させ、ペンギンの存在をアピール。結果、ペンギンたちを救うカタチになる。

しかし、
人類の驕りへの警鐘ははいいが、魚の濫獲よりももっと大きなことがあるのではと首をかしげた。

飢えに苦しむペンギンたちの描写が足りなくて、切羽詰まった状況が伝わって来ない。
何匹いてるねん! っていうぐらいのペンギンの大群を見せられてしまって、よけいに、飢えたイメージは遠のいてしまった。
有り余るほどの広大な土地で生活しているアメリカ人には、飢餓に苦しむというイメージは想像できないのか。

「ハッピーフィート」を見た翌日だったか
テレビ報道番組で、写真家・藤原 幸一さんからの報告だったろうか 地球温暖化によるペンギンの生活現場の激変を見た。
ショッキングだった。
「ハッピーフィート」の青白く明るく美しい南極の氷の大地のイメージからはほど遠いものだった。
むき出しの土も驚きだったが、とけた氷の中から現れた人間が残して行った金属のゴミがペンギンたちの行くてを阻み、彼らを傷だらけまみれにしている。痛々しい。
「ハッピーフィート」の悲痛な叫びも、この1枚の写真のメッセージにかなわない。

ただ「ハッピーフィート」にも
人間文明の存在を恐ろしく見せる画面がある。
鉄のかたまりの巨大な船工場は、ちっぽけなペンギンたちや、明るいペンギンの国とは対照的
画面のトーンの180度の転換は印象的。
水族館のガラスに囲まれた閉鎖された空間の不自由さも良い。
ガラスの向こうのモノ言わぬ人間たちの亡霊のような顔も不気味。(フットライトのライティングがよけいにそう感じさせる)
でも、魚の濫獲のテーマにつながりにくい

ペンギンのタップに感動した人々が、氷の向こうの世界にいるペンギンたちの存在に気づき、ヘリコプターでやってくるのだが、氷のてっぺんで滑ったりして間抜け
(ヘリコプター登場の重量感はすごかったよ。)

前半の楽しさと、後半のシリアスさが上手くかみ合ってないのでは?

後半ありきの映画だったのなら、前半の楽しい部分はもっと割愛すればどうだったのだろう。
まわりの感想を耳にすると、どちらかというと、可愛い、歌って踊っての主人公の成長ストーリーでよかったのに派が圧倒的に多い。
これってやっぱり、前半と後半が上手くかみ合っていないから?

そこで「ふるさと あるトドの旅」だが
テーマと、そのことについてやってることとのバランスは、「ハッピーフィート」よりも、学生たちが作った作品の方が勝っているぞと感激した。
もちろん、たかだか2年間アニメーションの勉強をしただけの若者たち30人足らずのテクニック。最高の技術者が何百人も集まって、時間とお金をかけて、最新のテクノロジーを取り入れて(3Dやモーションキャプチャー)造った作品と比べ合うのはできない話し。
でも、絶対に「トド」の方が素敵だよ

「ハッピーフィート」のペンギン達の食糧危機に対して、それをも含む、人間の地球環境や同じ地球に生存している生き物達に対する無関心さへのメッセージ。
「ハッピーフィート」とは違って、「人間」を直接画面に登場させずに、船、飛行機、人間が海に放った人間が作った地球のゴミや汚物で「人間」を表現した。

「ハッピーフィート」のサブキャラクターたち(アザラシやペンギンを襲う鳥たち、シャチ)も秀逸だったが、「トド」も負けていない。
サメクジラミガメタツノオトシゴカモメイソギンチャク

イワトビペンギンの怪しい教祖が首にはまって抜けなくなったプラスチック製の、ビール缶か何かをつなぎ止めておく道具? あれ、分かりにくい。
「トド」の7UPの空き缶、人が捨てたの方が分かりやすいじゃん。

「ハッピーフィート」の素晴らしい見せ場のひとつに、ジェットコースターのごとく、アザラシから逃げ回るシーンがある。延々と続く氷上の滑走だが、スピード感と迫力は最高。これこそは大きなスクリーンで観るもの。音響もすごい。
追っかけシーンなら「トド」も負けてませんよ。サメに追いかけられるところはやってることが同じです。学生レベルでは最高級でしょう。
たて構図で襲われるところは、3Dにも負けてません。

「ハッピーフィート」の素晴らしい見せ場のもうひとつに、ペンギンたちが、魚が少なくなった原因を確かめに旅に出るシーンがあります。
吹きすさぶブリザードの中を進むペンギンたちの描写は素晴らしい。大きなスクリーンにロングショット。画面いっぱいに横殴りの吹雪。そんな中を、ちっぽけなペンギンたちが進んでいく。
でも、残念なのは
人間の世界にたどり着くまでの、あの、大変な距離感が、帰ってくるときは一瞬で、すごく軽く感じる。あの距離感のなさは、人間とペンギン(生き物)たちの微妙な距離を感じさせなくしているように思う。
それを思うと「トド」の、人間の世界を見て怖くなって帰ってくる、幾日も泳ぎ続けたというカットの連続って大切だと思った。

「トド」のラストのナレーション、いいでしょ?
「やっぱりここがスキです。だってトドだから」
これは、人間が「地球が好きです。地球に生きる生き物なんだから」と言う意味です。
もちろん、地球に生きる生き物は人間だけじゃなく、植物、動物、昆虫、魚…すべてです。
だから、地球を大切にしなければならないのです。
このテーマは、ぜったい、ハッピーフィートよりも大きなテーマでしょう?

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2007年4月 3日 (火)

ストリングス~愛と絆の旅路~ジャパンバージョン

操り人形の映画なんですが
人形(マリオネット)を操る糸は邪魔で興ざめに思ったりするのですが、文楽の三人の人形や歌舞伎の黒子と同じ。

この映画は
あえて、その操りの糸に意味を持たせて、ストーリーとテーマを表現している。
だから、操りの糸も、控えめの細い糸じゃなく、しっかりとした紐にしている。
このストリングス(操り糸)は、天空から続く糸で、生命をつなぐ糸であり、心をつなぐ糸であり、運命の相手とむすぶ糸・・・
糸が切れると命も絶たれるという世界観に、愛の絆や、憎しみの鎖といった意味をもたせている、とても哲学を感じさせる設定でおもしろい。
画面を二つ以上横につなげたシネマスコープサイズは、高く垂れた操り糸を目立たなく見せてくれるが、時としては、アングルを変え、遥か天から続く果てしない高さを感じさせてくれる。

主役の人形達は
人形だということを忘れるぐらいに一体一体に魂が吹き込まれたかのように表情豊か。眉も動かなければ口も開かないし表情は固まったままだが、素晴らしい情感を感じさせる。一体の人形を5人の操り人形師が操作しているそうだが、操り糸を微妙にふるわせての操演のテクニックや人形の動きの優しさにスクリーンに釘付け。命を持たないものに魂が宿った感覚は、マンガの絵やCGによって造形されたキャラクター以上の何ともいえない不思議感がある。

画面も美しい
雨にさらされる画面、湖に沈んでいく画面、山火事の炎など、木製のマリオネットは、劇中さんざんいじめられるが、映像はとても美しい。

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           デンマーク生まれのドーリムービー。監督/脚本はアンデルス・ルノウ・クラウン。共同脚本ナヤ・マリ・アイト ジャパンバージョンの監督に庵野秀明、脚色は長塚圭史、声優に草彅剛、中谷美紀、劇団ひとり、優香、小林克也、香取慎吾、戸田恵子、伊武雅刀、市村正親。

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2007年2月 9日 (金)

「さくらん」試写会

角川ヘラルドの試写室に
「さくらん」企業関係者試写会に行ってきました。0dsc07996
監督・蜷川実花は、フォトグラファーだけあって、画面作りには力が入っている。画面に映る全ての色彩とライティングは、謳い文句のとおり鮮やかだ。色彩の工夫だけでなく、そのものの材料・素材集めや加工にもどれぐらいお金と労力をかけたのであろうか? コマーシャル写真を見ているようで楽しかった。
1時間51分は、ひょっとしたら短かったかも。
きよ葉・土屋アンナが、花魁 日暮になってからを、もっと描き込んでみてはいかがだったでしょうか、という感想です。

【ネタばれ注意】

自分に正直なという、きよ葉の頃は、彼女の地のままと言ってもいいようなキャラクター設定。花魁になってからは、さらにプラスαのファクターがついてくるのだが、前半とさほど変わらない描き方の印象。
ご隠居(市川左團次)というキャラクターといい、倉之助との関係、もっと掘り下げふくらませての事が出来たように思うから。
逆に、きよ葉のころは、もっとシンプルに整理できたかも。

木村佳乃のキャラクターも高尾も、重要な役だったが、実年齢でも八つ違う、そんな年齢差が画面に、もっと出ていても良かった。もっと大きく邪魔な、土屋アンナの目の上のたんこぶであってほしかった。

たびたび画面に現れる、鉢の中の金魚が、この映画のイメージを、上手く伝えていた。

宙をとんでいるように見せた金魚。
でも、この中でないと生きて行けない。
鉢の中から飛び出した金魚は、
その度に、そう言われて鉢にもどされるが、
日暮は
見事、とびだしていきましたよ。

鱗の華やかさ。
でも哀れ。
そんな金魚から、脱皮した、勇気を見たようでした。

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2007年1月28日 (日)

リュック・ベッソン監督がアニメーション

SHOWBIZからの海外アニメ情報
リュック・ベッソン監督が、アニメーション映画を制作。タイトルは『アーサーとミニモイたち』
Arthur and the Invisibles』(英語題名)
マドンナ、デヴィッド・ボウイなどの音楽界のスーパースターが声で出演しているらしい。 

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2007年1月14日 (日)

正月映画から

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『プラダを着た悪魔』

就職をひかえた学生たちに是非見てもらいたい映画。そして、見た感想や意見を聞きたい映画。

ネタばれ記事です。
近ぢか見るつもりでいてる人は
読まない方がいいです。

オープニングタイトルから軽快な出だし
主人公は、大学で文章の勉強をして、将来ジャーナリストになりたい女の子アンディ
キャリアが欲しくて、難関のファッション誌‘ランウェイ’の編集長ミランダのアシスタントを志願。今日は面接。自身の売り込みの日。
ファションにも業界にも興味がないアンディ。面接に着ていく服も既製の普段着。化粧も適当。朝食もオニオンの臭いプンプンの安バーガー。
そんな彼女の朝支度と、業界でバリバリの職業ウーマンたちの朝支度対比のカットバックが、とてもテンポよく、今後のストーリの展開を分かりやすく暗示している。

この映画の素敵なところは
ありきたりストーリーなら日常と別世界のファッション業界を批判っぽく描写し、あんな不自然な世界、人間らしく人間が働く世界じゃない!」てな展開で、アンディに恋人とのや友達との友情自分らしい生き方を選択させてハッピーエンドで終わらしてしまうんだろうが、この映画は、業界側の人間たちに、とても魅力的な役割を演じさせている。
脇役であるが、面接に来たアンディに、一番最初に関わりを持つミランダのアシスタントが好感度大。もちろん出会った最初はアンディのセンスのなさを突つくが、彼女が第2アシスタントとして採用されてからは嫌み先輩になるわけじゃなく、自分の職業に、誇りを持ち、夢を持ち、チームワークを大切にするキャラクターとして描かれている。アンディから掛かってきた電話に対応している最中に交通事故にあって、夢に見たパリ行きがこわれてしまっても、アンディに辛く当たるでなし、ラストでは彼女にエールをおくるかのようないきな演出。
ミランダが登場する直前に、社員に「戦闘態勢に入れ!」と掛け声をかけるミランダの右腕・ファッションディレクターのナイジェルは最高に素敵な人物。甘ちゃんのアンディをさとす時も険がない。とてもポジティブ。
さて、ミランダの登場
ミランダ役はメリル・ストリープ。派手に怒鳴ったり感情をあらわにしたりという演技じゃなく、静かに、抑え気味に芝居している。メリル・ストリープという役者さんは好きなタイプじゃないけど、この映画の芝居は素晴しい。
映画の見せ方も、予定よりも早い彼女の出社と、それを迎える準備の社内のバタバタを、これもテンポの良いカットバックでつないで見せる。
何であっても、映画のテンポとリズムが良いのだ。

アンディの
会社でミランダと対応している時間の緊張感と、アパートに帰って同棲中の彼氏に愚痴を言いながら、ざっくばらんに過ごしている、落差の違いの繰り返も心地よい。緩急のつけ方がニクい。

アンディは
最初は、腰掛けのつもりでこの職場を考えていたが、みんなが真剣に、一生懸命にモノ創りしていることに気づき、その輪の中に入っていく。
そのきっかけもミランダの我がままとも思えるような無茶な注文であったが、無茶をとおしてでもそうしなければならないミランダの仕事の重さに気づき、もっと、努力できたかも、という自分の甘さを感じ、自ら変わっていこうとし始める
最初は、ナイジェルの手助けもあったが、どんどん、どんどん変化していく。
PANする柱や、画面を横切る車をワイプ代わりに、時間の経過と彼女の変化を映し出す。
この、テンポも心地よい。

ただ
物語は、予想通り、変わっていく彼女に対し、そのことに冷ややかな恋人と友達との関係も描いていく。
残念なのは
ポジティブな業界人たちに対し、元のアンディの仲間たちの、先入観にとらわれた反応
今を一生懸命に生きている人間を、もっと応援してあげる心の広さこそ、本当の親友であり、恋人なのでは?
ミランダの世界は、確かに、日常から掛け離れている。
しかし、その世界で、クリエイティブに頑張っている魅力的な人々がいて、表現は微妙。映画を観ながら困ってしまうところである。

パリで
酒のせえもあって、彼氏との件もあって、目差す物書きへのコネクションということもあって、ずっと言い寄って来る作家と一晩を過ごす。
これは、彼氏との、さらには以前の自分との決別かと思ったが、物語は結局、アンディを本来の世界へ戻してしまう。
しかし、元の鞘に戻ったのかというと、それは何とも言えないような…

ミランダからの呼び出しの鳴る携帯を
噴水の池に放り投げる。ココで映画が終わってしまえば、「あんな特殊な生き物が働く世界は、人間らしさのない世界だ」という単なる業界否定の物語で終わってしまうんだろうけど、『プラダを着た悪魔』は続きがあります。

アンディは
当初の希望通り、ジャーナリストの世界に入っていきます。
その面接の場。
元の上司からの、こころにくいエール。
彼女の新天地での活躍が始まります。
街中でのアンディミランダの再会。
言葉を交わせるかどうか、微妙な距離感
感謝の気持ちと、頑張ってる自分を笑顔で伝え手を降る。
ミランダの方は…  素っ気ない。
しかし、車に乗り込んだ後の、静かな笑顔が素晴しい。
しばらくその笑顔を映し、次の瞬間
「何してるの。車を出しなさい!」

彼女の劇中の表情で、もう一つ印象に残っている画面がある。
彼女の自宅に雑誌を持ってきたアンディを、絶対あげない自分の部屋に呼びつける。
どうやら、旦那よりも仕事を選んだ話だが、二人の子供の話になった時に、まぶたが真っ赤。
ぼろぼろ、涙流して悲しむ演技じゃなく、強く、堪えて、辛抱しての表情。(アンディが来る前に、しっかり泣いていたのかも)

いずれにしても、業界側のキャラクターが、キャラクター設定も芝居も魅力的。
最後の最後まで、先輩アシスタントも彼女を非難しない。
ナイジェルは、相変わらずポジティブ。
彼らの人間の大きさを感じて、とても清々しい思いで、映画を見終える。

映画の始まりを観ただけでは『マイフェアレディ』『プリティウーマン』といった映画を思い出したが、サクセスストーリーやそんな話じゃなく、プロフェッショナルに働く人間の映画だと思った。
『ワーキングガール』との共通点も感じたが、『プラダを着た悪魔』は、職場の男や女を飛び越えた、もっと当たり前のことが描かれていた映画だったように思う。
『ワーキングガール』よりさらに進んだテーマ。

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2007年1月 4日 (木)

これこそ銀幕小屋

最近の映画館は
健全、おしゃれ、まるでファミレス
家族連れ、恋人連れ、後ろめたさがない、すばらしい。
けど、昔、映画少年として通っていた頃の、当時の面影のある映画館が、少なくなってしまったのは、寂しい。

映画館といえば
小遣い握りしめて、半日過ごす場所。
お昼ごろ、入場して、見終わったら、きょう一日は終わってた。でも、気持ちは充実。
もちろん2本立て、3本立てですよ。入れ替え無いから、2回見たりして。
ほんで、
大作、スペクタクルは、ウメダの大きな映画館で、しっかり体調を調えて、気合を入れてみるのだ。
北野劇場、OS劇場…
そんなふうにして
中学、高校時代過ごしてきた。

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こんな映画館
平気で入れますう?

シネマコンプレックスも見やすくて悪くないけど、フラッと、気が向いて、暇つぶしのように映画を見る‘きやすさ’が失われたようにも思うんですが、いかがでしょうか。

今の若い人たちにはピンと来ない話でしょうか?

どうです
この組み合わせ。たまらないじゃないですか!
Dsc07715 Dsc07716

自分が若いあのときなら
きっと、『SHINOBI』目当てで出かけただろうな。
オダギリ ジョー。仲間由紀恵。
入場料がもったいないから、ついでに他の二本も見る。
でも、見てみると
「ええっ! こっちの方がおもろいやん!」
そうなふうにして
素敵な映画に出会っていったのです。

ダイナマイトどんどん』は、そんな映画です。
岡本喜八監督。すばらしい!
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2006年12月12日 (火)

『鉄コン筋クリート』試写会

Dsc07450大阪四ツ橋厚生年金会館芸術ホール
は、かつて、入学式や卒業式で利用させていただいたホール。いつもは、舞台側にいてたわけですが、今日は観客席側。
19時上映スタート。

『鉄コン筋クリート』は
シロの、ニコッと笑った、笑顔の絵がとても可愛いアニメーションでした。
路地に、落書きをしていて、顔を上げてニコッ。
クロに「おかえり」と言って、ニコッ。

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クロは、「オレがあいつを守ってやらなければ」と言っていたが、〝じっちゃ〟に「守られていたのはお前の方かも」と言われた。
クロに足りないネジをシロが持っていて、シロの足りないネジをクロが持っていた。
二人は、親友と言うよりも、二人でで一人。クロとシロで一人の人間だったのかな。
クロとイタチとシロの三つは、一人の人間だったのかな。

それにしても、よお、動き回る画面やった。
揺れるし、傾くし、回るし、跳ねるし飛ぶし・・・
縦移動で、立体感のあるカメラワークは、4℃ならではの画面。街に奥行きを感じさせてくれる。

クローズアップで見せる、地べたの蟻、花、印象的。

映画『ピンポン』に印象がかぶってしまった。
クロもシロも、窪塚洋介を11歳にしてキャスティングして映画にしたら、ピッタリかも。
ダイブシーンがあるから、やっぱり駄目か。

6年前
アリアス監督が大阪に来てくれたとき、フェスティバルゲートは、まだまだ流行りだったけど、この映画のように崩壊してしまいます。
新世界も、ちょっとづつ、様変わりしてきてます。

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2006年11月26日 (日)

デイブ・マッキーン監督トークセッション

『ミラーマスク』観て来ました
第13回大阪ヨーロッパ映画祭、ヨーロッパ最新映画上映最終日クロージングプログラム『ミラーマスク』を、海遊館ホールで観て来ましたよ。
堂島アバンザ1階エントランスホールで展示中の『ミラーマスクの世界』を見ると、幻想的なイメージが強く、観念的で難解なストーリーでは、と覚悟して見始めましたが、いたってシンプルな物語でした。
自分の思ったとおりにしたい、なってほしい、自分本位な、わがままな気持ちが、まだ残る、15歳の女の子が主人公。お母さんとの喧嘩に後悔を残しながら見た夢の中で、もう一人の自分と出会い、大人気ない自分を客観的に見ることができ、精神的に、ちょっと、成長するお話し。
ということは、千と千尋の神隠し』にも通ずるか・・・
年齢設定こそ10歳と15歳の違いがあるが、『ミラーマスク』の方が、少女の普段の気持ちと、そして、どう成長したのかが明確だったように思う。『千と千尋の神隠し』の千尋が体験した白日夢は、10歳の少女が見る夢とは思いにくい夢だったが、『ミラーマスク』は、ダークファンタジーながら、白と黒、鏡の向こうとこちらのイメージを上手く使って、少女の心の迷いの両面を表現できたと思う。
闇の女王に、自分の娘と勘違いされ、プリセスに変えられていくシーンの編集のリズムと、場違いとも感じるポピュラーナンバーとのマッチングが奇妙でおもしろい。
これではいけないんだと、気づいた彼女が、自分に替わって現実世界で好き勝手しているもう一人の自分に意見するところが力強い。
夢の中のイメージは奇妙で不思議だが、サーカスとその舞台裏を見せて始まるタイトルをふくんだオープニングシーンは、テンポ良くスピード感あり、色彩も美しく、夢のシーンに負けないぐらい素晴らしい。

今回はDVDによる映写だったのですが、画面に使われている黄金の色彩はフィルムで見たい色彩。

プログラムは
作品の映写が終わった後、監督が登場してのディスカッション。
ニール・ゲーマンと脚本を書き上げるまでのエピソードや、ちょっかいを出しに来たテリー・ギリアムとのエピソードなど、いろんな話しを、盛りだくさん、紹介してくれました。

終了後
サイン会がありました。購入したDVDにサインしていただきましたよ。
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盛り上がった
ディスカッション。サイン会も一人ひとりと会話を交わしながらのサービス溢れる対応。
予定の時間を、うんとオーバーするイベントでした。
終わったときには、天保山マーケットプレースの営業時間も終了。レストランもフーズコーナーもラストオーダー終了。クリスマスイルミネーションも徐々に消され始めました。
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2006年8月18日 (金)

「日本沈没」から10日

今晩チャンス
関西では、深夜2時30分から毎日テレビで1974年の『日本沈没』を放映。旧作と新作を見比べるチャンスです。

『日本沈没』2006年)

一言で言ってみた
日本列島が地球から消える。日本民族はどうなるのか! が73年の『日本沈没』
日本列島が地球から消える。剛、柴咲コウ、そして豊川悦司や大地真央やひょっとこの人たちはその時どうしたか! オタクの想像力は日本SF界の大御所の創作力を超えることができるか! が今回の『日本沈没』

スピード感と発想の転換とは言うが・・
前作は、小さな予兆がいくつも用意されていてじわじわゆっくりと沈没が進行していった。
しかし、今回の『日本沈没』は、いきなり被災地のクローズアップから始まる。
これについては、「タイトルを見れば何が起こるか、既に観客は分かっている」「だから、大きな事件をどんどん前にもってくる」という監督の考えがあり、第2作の進め方としては正解。画面も事件もアップで始まったほうがいいに決まっている。
なのに この『日本沈没』、スリリングさも無ければ惹きこまれるインパクトも無い。
圧倒的なスピード感と発想の転換で息つくひまを与えないといった感想がパンフレットに書かれているが、テンポが悪くてそのとおりにはなっていない

スペクタクルではない
開巻からガッカリなのは、被災地は瓦礫が横たわっているが、のだ。
広い被災地に、主人公の小野寺と少女の二人だけ。
そこに、ハイパーレスキュー隊員阿部玲子が、空から助けに登場するのだ。
スマートでカッコイイ?

トップシーンで違いは明らか
前『日本沈没』は、地球の地殻変動の歴史を図解説明のアニメーションから始まり、次に、列島にあふれる、日本人、ひと、人、群集の画面へとつづく。
望遠レンズで捉えた群衆のおびたくさんの頭や、戦後復興を遂げた日本列島という巨大な街にひしめき合う人々の密集に、彼らは、我々はこの後どうなるんだろう、と ドラマの次の展開にわくわした。
いずれにしても、大きな事件がこれから始まり。想像を超えたスケールの大きなドラマが画面に映し出されるという期待が膨らむオープニングだった。

オープニングでその映画の方向性が決まる
そういう意味では、今回の『日本沈没』は、その始まりのとおりの映画に出来上がっており、とっても正直な作り方で出来上がった映画だった。
見始める前は、かつての『日本沈没』を、どう いまふうに、スケール大きく見せてくれるか楽しみであったが、しょっぱなで期待を裏切ってくれたので、とっても安心して見れたのだった。
見終わった後にガッカリ、ということにならずに、とても 得をしたオープニング。
ふたつの『日本沈没』は、全く違う映画なんです。

やりたかったことは?
樋口真嗣監督は、災害という、手に負えない大きな怪物の怖さよりも、個の人間の命が奪われる恐ろしさや、混乱の中で弱者が死んでいく恐ろしさを見せたかったんだって。
絵空事の死ではなく、身近な死を通じて悲しさや恐ろしさを表現したかったのだろうな。
劇中、殆ど記憶に残らないようなキャラクターを一組、三度も登場させている
山本総理(石坂浩二)が、鷹森大臣(大地真央)に危機管理担当大臣になってほしい話を伝えた後、会談のホテルを出たところで、向こうに結婚式を迎えたばかりの祝福されている新郎新婦が映る。その二人は、その後、脱出の順番がまわって来ず空港のフェンスの向こうで「私たちも飛行機に乗せて」と騒いでいる群衆の中にも登場する(大勢のエキストラにまぎれていて、見ていて発見できなかったが)。そして三度目は、今しも噴火しようとしている富士山のカットの後、おびただしく死体が横たわっている廃墟の場面があるが、夫の死体に奥さんが「すみません、すみません」って泣きながらすがっている。
憐れ!で、監督のねらいどおり。 残念なのは、同一人物だって、きっと誰も気づかない。

前作は、山本総理(丹波哲郎)が、大活躍の映画だった。
今回は?
身近な人々の苦しみの映画ということは、
もんじゃ焼き屋『ひょっとこ』の人達がキーキャラクターなの?
石坂浩二の山本総理も、人間味のあるいい味を出そうとしていたが、さてこれからというところで・・・ この後は映画を見てね。

藤岡弘の小野寺俊夫と、草彅剛の小野寺俊夫。これだけ正反対な? 全く違うキャラクター仕立てにアレンジしたチャレンジ精神は立派。
藤岡小野寺は、いかにもSFの中の登場人物といった感じだったが、草彅小野寺は、前半等身大のキャラクター。最後はだいぶカッコよすぎでマンガでしたが。

オープニングであんなに鮮やかな活躍をみせた柴咲コウが練習中ケガするのは、その後、草彅剛との接触の機会を増やすため。

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2006年8月 8日 (火)

「日本沈没」感想の前に二言三言

歴史は繰り返し?
前作「日本沈没」は1973年。高度経済成長が一段落し、インフレやオイルショックなどの社会不安に「ノストラダムスの大予言」による世紀末ブーム。東宝は「ゴジラ」に続く恐怖の象徴に、小松左京が創作した天変地異に、その白羽の矢をあてたんだと思う。
「ゴジラ」は、1954年に登場。太平洋戦争の空襲や原爆の恐怖の記憶を呼び起こし、おりしも行われた水爆実験による被害も重なって映画はヒット。その後「ゴジラ」というキャラクターで約20年間シリーズが続く。が、キャラクターはアイドル化し、存在の臨場感と怖さという本来のイメージからはどんどん離れて行き、興行的にも落ち込み、東宝は怪獣路線から撤退する。ゴジラに変わる恐怖の模索の最中に、小松左京の「日本沈没」と出会ったということだと思う。
だから、前回の「日本沈没」は、震災の恐怖も、人々のリアクションも、「ゴジラ」に人々が最初に出会ったそれに、とてもイメージが重なるように感じられる。
ゴジラはオキシジェンデストロイヤーという、架空の新兵器(兵器にしてしまってはいけないんだけど)で倒すことが出来たが、地殻変動という天変地異に対しては、人類は全くの無力。現実を受け止めて、ひたすら避難し、散り散りバラバラとなった避難先で未来と希望を託す。前「日本沈没」はそんな映画だったのではないだろうか。
東宝はその後、75年『東京湾炎上』、80年『地震列島』と災害SF大作路線で頑張るがゴジラほどの輝きは放てず、84年には、再度 小松左京で宇宙規模のパニック「さよならジュピター」と併せて、とうとう「ゴジラ」を復活させてしまう。
1984年ゴジラ復活
平成「ゴジラ」も、復活直後は54年の時と同様、恐怖の対象として再登場するが、平成シリーズ、2作3作と続くに従って、昭和シリーズと同じように「対決もの」として同じような道を歩み出す。
特撮からSFXそしてVFXと、ビジュアル表現は確実に進歩し、画面によっては、楽しませてくれるショットもあったが、我々の世代は、既に、怪獣大好き少年を卒業、いつまでも絵空事に感動という歳ではなくなってしまい、醒めた付き合い方で見続けた。
第三期に移り、ミレニアム・シリーズとして工夫もしたようだが、さて、新しい世代の「ゴジラ」ファンをどれだけつくることが出来たのだろうか?
やがて「ゴジラ」は終焉を迎え、そして、まるで図ったように、復活してから20年経ち、再び「日本沈没」
サイクルってこうも一致してしまうのかと、ちょっと不思議で面白い。
もし、東宝が、新しいアイデアでモノ創りすることから逃げてしまっているのだとすれば、ちょっと悲しい。ハリウッドは「スーパーマン」を復活させました。

夏の体験入学の狭間の休暇日に、「日本沈没」見てきました。
いろんな声を聞くと、「がっかり」「いまいち」話しが耳に入ってくるが、前の「日本沈没」とは、全く違うものを見に行く覚悟でどうぞ。良くないところは確かにいっぱいあったけど、作り手側の気持ちが伝わってくるところもあったよ。次の日記で、その辺のところを触れるつもりです。
ネットの書き込みでも、「期待はずれ。レンタルビデオで充分」という意見を目にしたが、それは絶対に止した方がいい。特撮の見せ場やパノラマはDVDやビデオで見たって何の得もないから。ビデオで見ると、よけい貧弱を感じてしまうだけ

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2006年8月 3日 (木)

「カーズ」(Cars)観てきました

8/2(水) 昨日の観賞だったけど・・・Dsc05253 
その日のうちに日記したかったが、亀田興毅の世界タイトルマッチの録画見てたら日が変わってもうた。
この、王座決定戦の内容には、ガッカリ。
いつもの亀田キャラクターらしく、憎らしげにガツンと決めてほしかった。嬉し泣きならまだしも、オロオロ泣いてどないすんねん。
サッカーワールドカップのときと同じで、テレビ局がお祭りしすぎ。ボクシングってK-1やプロレスと同じやったか!?
まだ若い(19歳)を、あのように持ち上げすぎるのはやめた方がいい。アスリートはタレントと違う。
今回かろうじて勝った彼も、己の実力に気づいて、もっとたくましくなってくれ。親父も兄弟も、もっと大人
になれ。
相手のラングエタは上手かった。

ライトニング・マックィーン
天才、ルーキー、若手のナンバーワン、という点でいえば、主人公のライトニング・マックィーンと亀田三兄弟って、いくつか似てる部分がある。
とくに、勝てば何でも許してもらえるという点が。
違う部分は、マックィーンの場合は、自分の力だけでレースに勝っていると疑わない一匹狼。亀田の場合は、親父や兄弟の協力や信頼に気づいている(?)。 でも、家族はほんとの意味では第三者にはならないか。
そして、彼に集まるマスコミのちやほやさや深入りしすぎもお決まりの図式で、イメージ重なって笑ってしまう。

映画は
相変わらずPIXARの画面は美しい。うんと遠くまで見渡した澄んだ空気感が気持ちいい。

トップシーンはスピード感あふれる激しいレースシーンから。勿論、最初の画面はクローズアップ。流れるサーキットの路面のアップ。カメラをローポジションにしたタイヤのナメ構図。開始早々ストーリーに引きずりこんでいく。

全部、車です
この映画には、人間はいっさい出てきません。レースを観戦している観客はもちろん、飛んでるハエまでも。
画面に登場するいろんなものも車関係で徹底。
空の雲も、ひこうき雲ならぬタイヤ痕
夢の中に登場するモンスターも胴体がスパークプラグで、そこから宇宙大戦争の火星人ポッドのように脚がニョッキリ。
あっ
ヘリコプターや戦闘機が出てきたか。飛行船も。

カット割りのサイズの強弱はさすが
マックのトレーラーに乗り込んでカリフォルニアに向かう件(くだり)。単調な画面の上手から下手へのキャラクターの移動も、ロングショットのフォローパンのカットの次は、地面に映った車の影のアップショット(平行移動撮影)へ といった具合にカット割りのテクニックはさすが

ラジエーター・スプリングス
ルイジやグイドが店のウィンドウを掃除してるけど、フォークリフトは腕が上下することが仕事だから窓拭きはいかにも得意そう。乗用車にはワイパーついてますから雑巾やモップは似合わない。

モーテルCOZY CONEは、三角コーンで出来ている。
コーンは、車が避けるためのものだけどここでは、車が休憩や宿泊するモーテルの部屋として使われている。矛盾が可笑しい。

スクリーンで見るべき
ビデオかDVDで見たらええわ、と思っているあなた。
この映画の空気感は、スクリーンで見るべきです。
「ファインディング ニモ」のときの水の中の表現もそうだったし、何よりも今回は、広いアメリカ大陸の大荒野が舞台。キャラクターたちを画面の下のほうに配置させた、大ロングショットが山ほど出てきます。これは、大きなスクリーンで見ないことには、美しさもスケール感も半減してしまう。
圧巻は
マックィーンとサリーがドライブする滝のシーンとサリーのお気に入りのパノラマビューの絶景。
岩と砂ばかりのラジエーター・スプリングスの町からしばらく走ると、緑の樹々のとっても気持ちのよさそうな山道がある。走る二人を、前から後ろから、あるいは廻り込んでカメラはフォローする。トンネルを抜けると視界にとび込んでくる大きな滝
ここまで、右へ左へ車は走り、カメラも追いかける。俯瞰で見下ろしたりアングルは変わるが、突然登場した滝は、縦の高さと動きがあり、ここまでの画面のおもむきが一変するのだ。サイズとアングルとカメラワークが素晴らしいので、ビスタサイズの横長の画面が縦長になったのかと見間違う一瞬だ。
サリーのお薦めビューポイントは、いったいどっちに行ったら戻ることが出来るのかさっぱり見当がつかなかったフリーウェイを眼下に見下ろす大俯瞰だ。
ここでのセリフもなかなか素敵。「以前は、楽しみに行くために走るのではなく、走るのを楽しんでいた」「目的地に到着するのを10分短縮するためにあんな道を作ってしまった」

そこは、地図から消えた町
フリーウェイからどっちにどんだけ離れたところにあるのか皆目見当がつかない、地図から消えた町ラジエーター・スプリングス。
地図どころか、ナビゲーターがあっても右往左往?
劇中、唯一ナビゲーター付きのハイテク乗用車が出てくるが、そのハイテクが役立たずっていうのがおかしい。登場する旅行中のカーナビ付ミニバン夫婦ってひょっとしたら日本車?

そんな具合に文明批判もチラッ
オーガニックオイル? 「こんなにおいしいものだったなんて」「出回らないのは大手石油会社の陰謀?」

アナログをおおいに感じる
仕上げはデジタル仕上げなんでしょうが、こちらのサイトを見るととてもクラシカルな技法や発想が活かされているようだ。
http://ascii24.com/news/i/keyp/article/2006/07/10/663337-000.html
画面作りだけでなく、ストーリーやキャラクター設定、テーマにも人間性をとても感じる。

アメリカは車社会の国
画面作りのテクニックだけであればゲームの「ウィ二ングラン」「リッジレーサー」を思い出す。
しかし、「カーズ」を見ながら「アメリカングラフティ」の、戦争もドラッグも無縁だった時代のころの青春ノスタルジーや、「激突!」のハラハラドキドキとスピード感を思い出した。
キャラクターである車の金属のリアル感の描写力に注目が集中してしまいがちだが、同じ車が出てくる映像でもやっぱり違う。
アメリカ映画に自動車は必需品。車が重要な映画がいっぱいあったなあ。アメリカ社会にも もちろん車は欠かせないアイテム。「カーズ」はアメリカで作られるべきして作られた映画。

ネタバレ注意!!!

アメリカ的でアメリカ的でない
車社会の国の象徴として生まれ出た映画。とってもアメリカン。
誰とでもすぐに友達になれる。とってもアメリカン。西海岸的。
勝つだけが全てではない。負けて万歳!なんてアメリカ的でない。ジョン・ラセター的?

ミハエル・シューマッハにびっくり
驚くようなハッピーエンドを用意できるというのはハリウッド的!

エンディングは例によって
「トイカーストーリー」に「バグスライフ」に「モンスターズトラックインク」

ルート66をインターネットで検索したらこんな映像に出会えた。
http://blue-highway.moo.jp/route66/route66-amarillo.htm
度々背景に現れる斜めに傾いている並んだ浸食された岩。何で傾いてるンやろう?って疑問やったけど、こんな
名なアートオブジェがモチーフだったのね。

エンディングは・・・
同時に最初の亀田興毅の話に戻る


レースに勝つことだけが人生の全てだった一匹狼ライトニング・マックィーンが、ラジエーター・スプリングスでいろんな連中に出会って、信頼できる仲間ができ、人生の楽しさ素晴らしさを手に入れる。人として大切なものを手に入れる。
最後はそんなふうに、とってもディズニーらしい結末だけど、マックィーンのとった行動はプロのレーサーとしては疑問。勝ってキングを助ければよかったのでは?
マックィーンの行なったことは、人間としてしなければならないことを子供たちに教えてくれて人間教育としては最高だったけど。プロのレーサーというキャラクター設定としてはどうだったろう?
プロのアスリートは勝つことも求められる。勝って人々に感動を与える。
が、
この度のボクシングを見ていると、ただ勝てばいいということではなく、その勝ち方と、勝つ当人のキャラクターが大切。

亀田が今回の結果をあんなに叩かれる理由に、勝利に疑惑が見え隠れしていることも理由のひとつだが、彼自身がまだまだガキンチョで見てて不快を感じさせることも理由のひとつ。
敵(相手)を尊敬してのスポーツマンシップなのに、彼にはそれがなかった。それを教えれなかったあの父親は、マスコミが持ち上げるほど素晴らしい父親像とは思えない。
世界チャンピオンを手に入れさえすればいいのか。我が家族だけ夢が叶えば、方法は何だっていいということか。
亀田にも、マックィーンが出会えたサリーやドック・ハドソンが必要では? 
亀田はサリーやドックの言葉を聞く耳があるだろうか? 
聞いて理解できる頭はあるだろうか?

我々は、応援する者が勝ってくれることを大いに望むわけだが、同時に感動したいのだ。負けてもらっては困るけど、感動できる勝利を見せてほしい。それが出来るアスリートの出現をを待っているのだ。

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2006年7月18日 (火)

クラッシュ(DVD)

何組かの人物のエピソードが入れ替わり立ち代りで、これは、ややこしそうな映画だぞ と 覚悟しながら見始めたが、一気に最後まで見れた。
それぞれの人物も、そのエピソードも、ほどよいリアリティがあり、でも、映画の構成としてしっかり計算されている作り話といった感じ。構成が巧み(最初から最後まで)なのが、何よりも心地よく、見終わった後、いい劇を映画で見せてもらったという感じだった。
「ER」に初めて出会ったときの感動によく似ている。
「見えないマント」や今にも火災で爆発しそうな車からの救出など、ちょっと都合いいんちゃうのんというようなことや、ハッピーエンドをでっち上げたような出来事もあるが、すごく 人間の素敵な部分を見せてくれていて全然嫌味な感じに見せていない。「生きる」「死なせない」という素直な気持ちが画面に表れていて、どきどきさせてくれる。
オールハッピーエンドのストーリーだったら、嘘っぽい映画でおしまいだろうが、意地悪にも、劇中真面目に頑張っている人物に、不幸も用意している。何で!? っていう感じだが、人間関係の難しさと人生の悲哀を見せ、物語に深みをつくっているように思う。
舞台がアメリカ、ロサンゼルス。いろんな人種(国籍の人間)が集まる町。銃社会。そんな中で、もっと以前からこんなふうに人間をやさしく見つめる映画が出てきても良かったんじゃないかと思うような作品だった。そういう意味では、よくあるハリウッド的映画とは違っていた。だからアカデミー賞作品賞とったの?

ビシッときまった構成は、さすが脚本賞、編集賞です。最近海外の良質なショートショートに出会うが、そんな良質のショートショートを旨く一本にまとめた感じがするから。

デイヴィッド・クローネンバーグの監督・脚本・1996年製作の「クラッシュ」とは違います。

ネタバレ注意! この先は映画を見てから。

銃器店で赤いパッケージの弾丸を購入するんだが、アメリカの人はあの時点で、「見えないマント」のオチに気づいているの? 拳銃の弾の種類も、そのパッケージについての知識の無いわたしは、うまく騙される目にあって、映画を楽しめた。

TVディレクターの妻クリスティン(サンディ・ニュートン)が大通りで事故を起こし、以前に猥褻な行為を受けたライアン巡査(マット・ディロン)に助けられるシーンは壮絶。ひっくり返った乗用車の運転席の中。ライアン巡査の気まずさとクリスティンの彼に対する嫌悪による距離が、「助けたい」「死にたくない」の中で接近していく。昨晩の嫌らしいイメージとは打って変わったスリリングな緊迫感。マット・ディロンの演技も素晴らしいがサンディ・ニュートンも素晴らしい。近づいてくるガソリンと炎、つぶれた狭い運転席の中でのカメラの切り替えし、カメラワークも編集も完ぺき。

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2006年7月17日 (月)

ヘイフラワーとキルトシュー(DVD)

夜中におっさんが独りで見る映画ではなかった。
親子連れで、映画館で、家でビデオで、みんなでキャッキャ言いながら見る映画です。
大人が子供の頃を思い出して感慨深げに見るというよりも、5.6歳から中学生になる前の子供たちと一緒になって楽しんでみる映画。
登場する大人たちは、子供視点で設定されたキャラクター。父親も母親も、近所のおばちゃんも、おまわりさんも。
だから、おとなの常識で彼らを見ると、「そんな大人、いるか!?」って、つっこんでしまいます。でも、そんな映画ではないんでしょう。

フィンランドの一般家庭がそうなのか、この映画のファンタジック演出なのか、舞台となる家の、壁紙、シーツ、カーテンといったインテリアデザインが、日本の、我々の日常のそれとまったく違うのでとても楽しい。特に色彩が
この映画の広報用ホームページも、その色彩やムードをそのまま伝えているので、よろしければどうぞ。
http://www.hayflower.com/

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2006年5月 8日 (月)

関西人は『日本沈没』にどんなリアリティを感じるだろ

連休中、大きなおでかけは しなかったのですが、家族で大阪茶屋町の「MBS」の1階ロビーで行われている、展示イベントを見てきました。うちの家族、「ちちんぷいぷい」大好きなんです。(TV番組内の、ぷいぷいさんやキャラクター達のアニメーションは、動画、着彩仕上げ、映像仕上げ、アニメーションディレクター、全て本校の卒業生達の手によるものです。昨年、春の学校祭のときに、講演会してくれました) だから。
ぷいぷいさんはじめ、らいよんちゃんキャラクターなどの展示、賑やかにやってました。
それと同時に、7月ロードショーされる、東宝映画『日本沈没』の宣伝も行われていました。
1973年に、藤岡弘、いしだあゆみ、小林桂樹主演で上映された映画のリメイクだけど、懐かしいなあ、中学生のころ、映画にはまり始めたころ、そのころは伊丹に住んでいまして、「伊丹ローズ」「伊丹グリーン」っていう映画館が駅前にありまして、洋画なんかでも2本立てで観ることができてたんです。(中学生150円で見たような記憶がある。. . .450円だったかも)  もちろん、『日本沈没』は、ロードショーだから、併映無しだったはずだけど。
十代半ば、とりあえず SF! スペクタクル!を期待、地震の時の特撮やジオラマに心うきうきで見に行ったのを覚えています。『ポセイドンアドベンチャー』や『タワーリングインフェルノ』なんていった、パニック映画が流行りつつあるころの時代だったと思います。『ゴジラ』の東宝が全力注ぎ込んで作った映画『日本沈没』。満足しました。冬の寒い時期のロードショーだった気がするけど、だから、仮面ライダー藤岡弘といしだあゆみの浜辺での水着ラブシーンは、得したドキドキ感を感じながらも、ちょっと寒い! 見たいけど本当に見たいのはこれじゃない! 早く噴火しろ! 早く地震来い! 揺れろ! 崩れろ! 早く沈め!」 と心の中で叫びながら観てたのを思い出します。
沈んで「凄かった」で終り、だけでなく、自分たちの国、ふるさとがなくなってしまい、他所の土地で生きていかなければならないちりちりバラバラになっていく〝日本人〟たちに、悲しさ さみしさみたいなものを感じ、凄かったけどどうなるんやろ日本人達は っていう気持ちで見終わったのを覚えています。
ところで、2006年バージョンの『日本沈没』
国際情勢も30年前とは全然変わってしまい、沈みつつある日本列島にあって、政府の働きや周辺国の対応にどんなふうな変化をつけるのか、描かれるのか、そっち方面に興味が移っております。前回は、世界中が日本の避難に手をさしのべてくれて、生き延びた日本人の未来を感じさせるすごく希望のあるエンディングだったけど。ここんところの日本の外交能力の未熟さを感じてしまう今日この頃、スペクタクル以上に、そのあたりの描き方に興味を持っております。
中学生のころは、そっちに考えは行かなかったけど。
日本の外交も日本人も、この30年間、決して良くなった、大人になったとは言い難いと感じます。
すごく情けない結末に変わってしまいやしないか。

MBSロビーで、映画の地震特撮のシーンを観ながら、
昔は、高速道路が将棋倒しのように崩れていくのをスクリーンで観ながら、すごいんや、なんて感じていたけど、同じような今回の画面を観て、「ああ、大阪人は(関西人は)、実際、阪神大震災でホンマもんを体験してんねんなあ」なんてことを思いました。

東京のひとが観る『日本沈没』と、関西人や新潟のひとが観る『日本沈没』って、きっと違うんやろなあ。
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