林正史先生
古い卒業生たちには
たまらなく懐かしい先生。 林先生ですよ。
1980年生第2期生から12期生の、「アニメーション原理」「アニメーション作画」そして、「空飛ぶ米俵」から始まって、「Mr.プレスマン」「猫飛んじゃった」「自動巻き」「「自殺ごっこ」(子供はつらいよ)「今夜のメニュー」「ミイラの訪問」など、いくつものグループ制作の指導に関わってくださった先生。
大学で
伊牟田先生の後輩になるそうです。
伊牟田先生の影響もあってか(口添えって言ってたかな?)、アニメーションの世界にすすみました。
伊牟田先生は虫プロ、林先生は東映。
「狼少年ケン」など、テレビのアニメーションの作画で活躍。
高畑勲監督と同じ時期
に東映にいてたそうですが、高畑監督は劇場アニメの部署で林先生はTVで、制作の部屋は違っていたのですが、お二人とも〝音楽〟という趣味の部分で話題が共通、親しかったそうです。
そんな関係もあって、ジブリが「魔女の宅急便」を作っていたころ、高畑監督は、一度学校の方に来校していただきました。
林先生は、「タイガーマスク」まで、東映でアニメーターをされ、その後京都に。
現在の、染色(漆を使った染色や、漆織)のお仕事を続けてされています。
伊牟田先生が
大阪デザイナー専門学校にアニメーション学科を新設するときに、一番最初に声を掛けようと思ったのが林先生だったそうです。
結局
アニメーションは作画だけでなく、映画の勉強だったので、林&伊牟田路線でのスタートにはなりませんでした。
しかし
第1期生が36人、その次の学年が100人ひかえているということでスタッフの数が必要ということで、再度声を掛けられ、2期生のベーシック授業からの参加となったのです。
背景・美術を中心に、アニメーションのあり方を見渡す役割にある伊牟田先生。
ストーリー、テーマから、絵コンテ、作画、そして撮影・編集・録音といった全般のテクニック、制作全般をみる岡部先生。
作画と、〝動かす!〟というところに徹底的に関わった林先生。
そんな連係プレーでアニメーション学科は試行錯誤を繰り返しながら船出していきました。
夜間部の指導をしてくださった徳永先生。
一学年300人という時代には、アニメアールの谷口さんや、毛利さん、上井さんにも手伝ってもらいました。
ゼミナールでも、アニメアールの逢坂さん、佐々木さん、加瀬さん、山本さんに手伝ってもらった時代もあります。
作画カリキュラムのパイオニア
の先生です。
それまでの、アニメーション学校のカリキュラムはデッサン中心。動きについては、動画の〝パターン〟を教えることが定番でした。
林先生は
そのへんを、理論的に、基礎から指導する方法を取り入れられました。
慣性の法則や予備動作、ツメやノバシなど、すぐに人物のキャラクターを使ってデッサンしながら描写していくのではなく、図形や部分を使っての指導。まるで理論の教科目名である「アニメ原理」というタイトルは、そういったところから命名されています。
今でこそ、どのアニメの専門学校でも指導項目に入っている学習コンテンツですが。全て林先生のカリキュラムが基本になってます。
林先生が指導した教え子が、卒業後業界に就職して、さらには、他の専門学校で先生になって若い人たちに指導しているのですから。
大阪コミュニケーションアートも大阪アニメーション専門学校も代々木アニメーション学院も大阪アニメーションスクールも大阪アニメーター学院も、すべて大阪デザイナー専門学校の卒業生が指導に関わっているのですから。
林先生は
現在奥さんの仕事を自宅で一緒に行っているのですが、このたび、されていることをホームページで公開していきたいのだそうです。
ヨドバシカメラに用事あって、大阪に出てこられて、ホームページの指導をしてくださった方から、わたしの名前が出たので思い出し、大阪に出たついでに久しぶりに学校に顔を出してみようかなって、訪問してくださったのです。
本当に久しぶりで
うれしかった。
この20年、どんなことがあったのか、いっぱい報告させていただきました。
林先生、何よりも、卒業生たちの活躍を喜んでおられました。
林先生といえばお酒
もちろん、その後はお決まりのパターンです。
京都堺町通り御池で、奥さん・中嶋紫都先生の個展をされていますので、烏丸御池まで出かけていき、ご馳走になりました。
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コメント
懐かしいですねぇ〜。お元気にされていてなによりでした^^
投稿: dd_odc_family | 2007年6月 3日 (日) 17時56分
お元気でなによりでした^^
投稿: dd_odc_family | 2007年6月 3日 (日) 21時14分